「パワポの発明」が世界を変えた

MIT Technology Review」でパワポが登場する前の話が書かれていた。1948年にシーグラムがスライドショーをやった。1960年になると全国規模の広告予算を持つ企業は販売研修や宣伝、広報活動、社内コミュニケーションの一環として16ミリ映写機、スライド映写機、フィルムストリップ映写機、オーバーヘッド・プロジェクター(OHP)といった機器を駆使するようになる。

35ミリスライドが、16ミリフィルムより鮮明で制作費も低く抑えられた。複数のプロジェクターを同じスクリーンに向けることで、継ぎ目のないパノラマ写真や複雑なアニメーションを作り出した。

そのスライドをコンピュータで制御したがコンピュータが鑑賞に堪える画像を自在に表示できるようになるまでには、ここから、10年15年を要した。

もともとアメリカ合衆国のForethought社によってMacintosh用のアプリケーションソフトウェア “Presenter” として開発されたものであるが、1987年にPowerPoint 1.0 がリリースされた後、会社ごとマイクロソフトによって買収された

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PowerPoint』を開発したのはロバート・ガスキンスである。ガスキンスによれば当初ビル・ゲイツは『PowerPoint』の買収には乗り気でなかったそうだ。Wordに箇条書きしたアウトラインがあれば、それで済むと考えていたが、側近がグラフィカルなプレゼンテーションが必要だとゲイツを説得した。

ガスキンスはWindows向けにプログラミングしていたが、マイクロソフトが『PowerPoint』をサポートしないらしいことが分かるとアップル向けのソフト開発に転向した。その後、マイクロソフトがForethought社の買収を申し出たが固辞し結局、当初の提示額の3倍の1,400万ドルで買収が決まる。

ガスキンスはカリフォルニア大学バークレー校の大学院で、英語・言語学・コンピュータサイエンスの3つの博士号取得目前でシリコンバレーでビジネスを始めた。

ガスキンスが1984年に書いた提案書には、「ビジネス・プレゼンテーション産業」と、「スライドに対する巨大な需要」について概説している。1984年と言えば昭和59年。小生がまだ公務員の時代で、ようやくパソコンが市場に出回り始めたころ。NECのPC-9801が1982年に登場したような時代。

レーザー・プリンター、カラー・グラフィックス、WYSIWYG(What You See Is What You Get)ソフトウェアなど、デスクトップ・プレゼンテーション市場の勃興を示唆するテクノロジー・トレンドが列挙されていた

ドットプリンターの時代に、これだけ先が読める人がいたということ。これだけ先が読めればスライドの時代は終わることは見えていただろう。その時代のプゼンテーションは、OHPフィルムが主力だった。

統計学者のエドワード・タフテが、2003年のスペースシャトル「コロンビア号」の事故は役立たずのパワーポイントのスライドのせいだと批判したのは有名な話。タフテは「ひたすら続く階層的なスローガン作りに終始し、管理過剰で、ゴミのような図表にあふれ、無意味なプレゼンテーションを生み出す」と主張している。

おそらく史上最も記憶される企業プレゼンテーションは、マックワールド2007でのスティーブ・ジョブズによるアイフォーン(iPhone)の発表で、使われたのはパワーポイントではなく、キーノート(Keynote)だった。

コメント

パワーポイントが「世界」を変えたとは思わないものの、「プレゼンの世界」は変えたと思う。それと、今回 MIT の記事を読むまでは、マイクロソフトのアプリにしては、完成度が高いと感じていたけれど、それはロバート・ガスキンスによることだとわかった。

しかし、自分の原則からするとアニメーションのような動きの機能が必要とは思わない。

プレゼンは情報とアピールが一番重要なのであって、見せ方は二の次になる。パワポよりページレイアウト・ソフトを駆使するほうが王道じゃないかと考えている。