01.「文書管理」の周辺知識
wikipediaで「文書主義」を検索すると、
主に行政機関が、その意思決定に至る過程並びに事業の実績を合理的に跡付けを、後から検証することができるように、事務及び事業の内容を文書にする事
wikipedia
と書かれています。
マックス・ヴェーバーが官僚制の研究の中で指摘したとされています。
このことは権力を行使できる機関ゆえに、その権力行使の正当性を証明することは民主主義の基本をなすことであるため、当然のことと言えます。
ゆえに公的機関が公文書を作成し適正に管理することは公務に付随する作業ではなく、公務そのものであると言えます。
では、民間企業においての「文書主義」はどのように考えるべきでしょうか。
アメリカの組織論の書籍を読む限り、組織は「職務」で構成されており、職務は「明文化」されていることで、その職務をこなせる人材を充てることで組織は機能する というような書き方がされています。
人材は流動的に雇用していくという考え方です。
経営トップや経営陣にはある程度の「属人性」が必要なのかもしれませんが、「Job Description」で雇用する人材に期待するのは、明文化された職務の内容に適合する能力とポリシーが採否の判定対象となります。
組織活動で獲得していく経験値も、明文化されていなければ属人情報でしかありません。組織として活動した結果が成功であれ失敗であれ、次に生かすためにどうするべきかが文書化されていなければ組織という抽象的な集合の知識として蓄積したり活用することは難しいでしょう。
つまりは文書主義が適正にルール化され運用されていることが、競争優位や発展拡大を支える原資となるわけです。
ところが、「繁文縟礼」と言う言葉がありますが、これは、行き過ぎた文書主義の悪弊を指示している言葉で、ルールが細かすぎて煩雑に過ぎていることを示しています。
なんのために文書を作成するかと言う視点を欠き、文書を作成することを目的とするような非効率になりかねないことを警告しています。
「繁文」は平安中期の漢詩集に使われていて「無意味で不要な飾り」のことだそうです。「縟礼」も平安中期の漢詩集で使われているのだそうですが、「煩わしい作法」と言うような意味だそうです。
煩わしい規則によって無意味な文書をたくさん作らなければならないことによって、非効率になっていくことを平安時代の人も鋭く指摘しています。
組織にとって必要なこと、不要なことをきちんと見極めて職務の内容に明文化し、共有化できるようにしておくことが必要で、「Just on Time」に追記、修正、削除するような柔軟性をもって「職務詳述書」を常に正規化していくことを組織力の原点としていくことが重要だと思います。
「組織力」にとって有効なことだけに限定していくことの立脚点は、実は文書主義から始まるといっても過言ではありません。