「ジョブ型雇用」という造語がもたらす未来

本日は2022年1月10日です。本日時点で「ジョブ型雇用」をキーワードとしてグーグルで検索すると「448万件」ヒットしました。

いつから流行り出したのかはわかりませんが、たまたま新聞にあったので検索してみたら、すごい勢いでこの言葉が使われだしているようです。

対する旧来の雇用形態(つまりは年功序列型)を「メンバーシップ型雇用」と言うのだそうです。日本独自の造語でしかないと思います。「メンバーシップ」とは「構成員」を意味し、一般にはクラブとか結社などに所属する人たちの、一種の特権のようなニュアンスも含まれている感じがする言葉であって「年功序列」とは程遠い感じもしますが賢人たちが生み出す言葉なので、そっちが正しいのでしょう。

欧米では「Job Description(職務記述書)」と言う文書によって、人材を募集し、雇用をし、評価を行うという雇用形態が一般化しているとのことで、日本に持ち込まれたのが1970年代だそうです。その時に「マニュアル」は導入され定着しましたが 「Job Description(職務記述書)」 のほうは50年(半世紀)も経て、いまから上場企業が 取り組むとのことす。

ジョブ型雇用」 をする前提としては 「Job Description(職務記述書)」 が不可欠になります。仮に、職責を果たせない場合は欧米のように「解雇」できるわけでもないでしょうし、今、雇用している年功序列の方々の処遇をどうするのかも不明です。

ジョブ型雇用」の前提としては、報酬(年俸契約)なども契約のベースになるわけで、職責を十全に果たせば翌年の契約更新においてサラリーのアップを要求するようになるでしょうし、逆に職責を果たせなければサラリーのダウンとか配転(容易に解雇はできないから)と言うことになっていくわけです。

すでに雇用している年功型の社員にいきなり「ジョブ型(≒能力とか適正)」を突き付けると年功(だけとはいわないまでも)で役職についている層の使い道をどうするのかという壁にぶつかることになることが予想されます。

つまり、「ジョブ型雇用」とは能力至上主義において効力を発揮する雇用形態であって、その裏側にはセイフティネットの完備が不可欠になるわけで、企業単位としての雇用形態の変更だけでは済まなく、社会制度の改変まで同時的に解決していかなければならないことと思います。

小泉内閣において「グローバリズム」への対応と言うことで製造業の正規雇用を「非正規雇用」に切り替えましたが、日本が製造業で立国できる時代ではなくなりつつあることを考えれば、労働者を非正規にすることで世界に対抗できるコスト改革ができるわけでもなかったのではないかと思います。

社会の是認の中で上場企業のコストカットを正々堂々とやってのけたということに尽きる感じがします。

総合職」という制度がありますが、いわば「幹部候補生」と言う位置づけになりますが、「ジョブ型雇用」となると「総合職」というよりは「専門職」になり、しかも、位置づけは「スタッフ」として。

幹部候補生からたたき上げて経営幹部になるというステップアップの道筋から、経営幹部は経営規模に応じた人材を「ジョブ型雇用」で選別してくるようにしていけば、おそらく今よりは経営効率は確実に上がっていくのだろうとは思いますが、就業環境は先鋭化していきそうで、ちょっと怖いです。

「職務分掌」と「職務記述書」の関係

日本語で「職務」という言葉があるのにあえて「ジョブ」というカタカナを持ち出すには、おそらくそれなりの背景があるのでしょう。ワードクラフトとして、この周辺の事情に関りがある語彙を選ぶなら「分掌」になります。

分掌」とはいささか古い語彙で、若い人にな馴染みがないかもしれません。調べてみると「大宝律令」のアンチョコとして833年に作られた「令義解」の中に使われています。ありていにいえば「分けてつかさどる」というような意味合いじゃないかと思います。

分掌」を調べると「業務分掌」と「職務分掌」があるというような記事が多出しますが、とりあえずは「ほぼ同義」として扱います。

組織規定」や「分掌規程」に記載されていることが一般的です。

職務分掌」であれ「業務分掌」であれ、組織において作成・収受するすべての文書は、この「分掌」に付属するものとして文書管理をするべきであることをワードクラフトの文書管理の考え方である「頓活」で推奨しています。

「ジョブ型雇用」のもたらす未来

ジョブ型雇用」により、能力のある労働者にとってはさらに上を目指せる雇用環境になります。ただ、日本の雇用環境で「部長」とか「課長」という役職についている人は、大方、平社員から苦節何年かかけて階段を上ってきている人が多いと思いますが、マネジメントも「ジョブ」として定義されるようになっていくと、マネジメントに長けた人が雇用されるようになっていくでしょう。

つまり、職務をこなす能力と、マネジメントする能力は別の「職能」であって、当然のことですが、企業経営すらも企業規模に応じた人材を充てるようなことへと進んでいくことが考えられます。

給与は「職務記述書」を前提にして、プロ野球の選手のように交渉によって決まるようになると、自己アピール(プレゼン)する能力も求められるようになっていくでしょう。

違う言い方をすると、少なくとも今の日本人には向かない。あるいは、こうした変革を受け入れる時代の日本人は、古き良き時代の日本人とはマインドが違っているのだろうと愚老は思うのです。