0101.日本における文書管理の歴史
戦後、日本の「文書管理」について考察してみます。
戦後日本にGHQがもたらしたのは米国のレコード・マネジメントであった。簡単に要約すると、不要文書の選別とアーカイブス資料の保存の両立であり、資料の検索性であったが、そうした米国型記録管理システムの全体像を日本型のファイリング・システムに反映されてはいなかった。
そもそも、「ファイリング・システム」と言う言葉を普及させたのは当時、人事院職員であった三沢仁の同タイトルの出版物(昭和25年刊)によるという。
保存年数を決める要素として「歴史的価値」「重要性」「再現性」「保存スペース」「使用設備」が挙げられているが、整理、分類、配列などには触れておらず、不要文書の決定と廃棄の必要性はあまり主張されていない。
三沢による『ファイリング・システム』は米国で出版された『レコードマネジメントとファイリングの運用』を参考にしていると言うが、レコード・マネジメントにおける「選別」、つまり保存するか廃棄するかについては深く追求していない。
かつ、著作の中で「レコード・マネジメント」の語彙は使われておらず、和訳としての「記録管理」と言う語彙も使われていない。
結局は「ファイリング」と言う語彙が「レコード・マネジメント」を包括して使用されることとなった。
時を同じくして登場するのが「文書管理」と言う語彙であった。
「文書管理」と言う言葉は戦後に登場してくるらしく、戦前は「文書整理」と言っていたとのこと。
「文書管理」は「文書整理」とは異なり「生産的・積極的内容を含んでいる」とし、「真に役に立つ有用な文書だけ最小限保管し、効果的な利用法を考える」とし「不要な用済み文書を処分していく」ことにつながっていく。
三沢仁は昭和33年に『ファイリング・システム』を全面改訂している。
冒頭で「米国のファイリング・システムの本にはオキカエ(書庫移管のこと)についても書かれており、組織体の記録の統制・処分の方式であり、これをレコード・マネジメントと言っている」としている。
『レコードマネジメントとファイリングの運用』のなかで archives が使われているが、永久保存と同義として扱われている。 第二次大戦終了後のアメリカにおいても民間企業において archives の概念が浸透していなかったことも影響したのかもしれない。
と、結構難しい内容から端折って抜粋していますので、詳しいことを知りたい人は坂口貴弘さんの原著を参照してください。
要点は「文書管理」と言う言葉は戦後生まれた言葉であること。なぜ、戦前の「文書整理」から「文書管理」になったのかは書かれていませんでしたが、意味内容が変わったという主張もあるようです。
不思議なのは「レコード・マネジメント」を「記録管理」として使用する気配が全くなかったことです。むしろ、「ファイリング」が米国で言うところの「レコード・マネジメント」であるがごとくの解釈もあったようです。
ところで、「management」の辞書的和訳は「経営、管理、経営力、経営の方法、経営学、経営陣、経営者側、取り扱い、統御、操縦」とあり、どういうわけか「管理」が定着している感じです。
「管理」を辞書で調べると「ルールから外れないように統制すること」などと書かれていましたが、統制の英訳は control ですから、管理には「control」が含まれていて、ちょっときついニュアンスになります。
動詞の「manage to ~」は「なんとか~する」になるようで、「manage to documents」とするなら、「たくさんある文書をなんとかする」となりそうです。
「なんとかする」というのは日本語らしくて「管理」よりはいい感じじゃないですか。