0105.この章のまとめ

01.「文書管理」の周辺知識

日本で普通に使う「文書管理」という言葉が、いつから使われるようになったのかは、ちょっと調べただけでは判然とはしませんが、語感からして戦前から使われていたようにも思えません。

アメリカでは20世紀初頭にはファイリングやレコード・マネジメント、アーカイブスなどが体系的に発展していました。

戦前の公文書管理は国民のためというよりは、最終的には天皇を志向していたわけで、民主主義を担保するためというような考えは毛頭なかったと思われます。

戦後は、アメリカに占領されたことからファイリングやレコード・マネジメントがGHQから伝えられていたはずですが、部分的な定着はしているとは思うものの、アメリカ流のままで定着をしなかったことは不思議です。

1951年に再び独立をしたのちも不都合な情報は国民の目に触れないようするような公文書管理が日常化していました。というか令和の現在も似たようなものです。オリンピックで1兆4千億円も使った明細は後悔はしないのだそうで10年保存して廃棄すると公言しています。

なんといっても「公文書等の管理に関する法律」、通称「公文書管理法」が施行されるのが2009年からですから、それでも民主主義が保たれていたことのほうが驚嘆に値することと言えます。

さらにいえば、この「公文書管理法」には罰則規定がありません。

つまり、公文書等の管理に関して悪意を持つ人間がいないことが前提になっているということで、いつもの「無謬」ということで、決裁文書を改ざんしたところで処罰される人はいないのが日本のやり方です。

民間起業においては、アメリカとの根本的な違いが「終身雇用」でした。

終身雇用が当然のことであった時代は、知識や経験を含めて「属人管理」が普通のことであったわけで「あれ出して」といえば、契約書や仕様書などは担当者のデスクから出てくることにさほどの違和感がなかったわけです。

昔のことを紐解くと平安時代は「文簿保管」といっていたとのことが井上幸治さんという方のJ-Stageでの論文に書かれています。

文簿」とは、文書・帳簿・記録・典籍の総称であり、実務官人が政策先例の参考に用いた紙媒体の資料のこととのことです。

文書管理」よりは「文簿管理」のほうが、レコード・マネジメントに近い気もしますが、ともかく日本においては、「文書管理」と言う言葉が、これからも包括的に使われていくのでしょう。

徐々に時代はデジタル化しており、「文書」としての共有よりは「レコード」としての共有に価値がシフトしていくのは必至で、仮に紙文書が根絶され電子文書のみになったとしても「文書管理」なのでしょうね。

いずれにしても、紙文書であろうが電子文書であろうが、管理が適正にできるかがDX時代の「文書主義」になると思います。