0206.コラム—閑話休題

02.「文書管理」を組織から考える

がん治療革命 ウイルスでがんを治す」と言う本を読みました。

著者は「G47Δ」を開発した藤堂具紀さんです。

第4章の「G47Δ開発までの道のり」に、アメリカに渡ってからの研究や開発の苦労談が書かれていますが、アメリカの「文書主義」の片鱗が「知財管理」として書かれていましたので、要点を拾い出します。

研究チームが週に1回行っていたミーティングで「G207から α47 遺伝子の働きを欠失させることで抗がん作用が上がるはずだから、そういうウイルスを作りたい」と教授に掛け合うものの教授は批判的であった。

その理由は「α47」の作用は人間の細胞にしか現れないからで証明する方法がない(人間で試す以外に)というのが教授の意見。

何度も何度も傍証になりそうな資料を見つけては教授を説得に行って、最初の提案から1年後にようやく許可が出る。

教授は「G207」をベンチャー企業と協力して開発していて、そこの科学者に藤堂さんのデザインでウイルスを作ることになる。

G47Δ」が完成するのに、そこからまた1年がかかる。

ここからが「文書主義」にまつわる話になります。

Massachusetts General Hospital」ハーバード大学の医学部のことで、通称「MGH」と言う。

知財部にワンフロアが使われ、スタッフも何十人もいて知財を守っている。

知財に対する考え方が根本的に違うことは、「知財管理」が徹底しているということ。つまりは「権利」をいかにして明文化して記録し、管理するかを徹底的に考え抜いているーーー(スタック&シェアによる集合知)。

遺伝子操作をしてくれたベンチャーが「G47Δ」の特許を独占しようとしたため、教授がベンチャーに対して MGH の名前も併記するように要求して間一髪で難を逃れた。

アメリカでの特許は国が研究費を出していても国は知財を放棄し、研究費を支給された機関が特許を持ってよいことになっている。

当初、MGH では複数の国に対して「G47Δ」の特許を申請していたが、その後、欧米のみに申請を絞ったため、欧米以外での知財を欲しいということを MGH に対して発明者・藤堂氏が交渉を始める。

アメリカの決まりでは、研究機関が有する知財でも、理由がある場合は発明者に戻しても良いことになっているそうだが、それには国の承認が必要になる。

アメリカ側との交渉の末に、日本とカナダとオーストラリアに関する特許は藤堂さんが持つことになった。

特許を持っていてもお金を生む製品がなければ、維持費がかかるだけ。

日加豪の市場は小さいとみて特許を発明者に戻したと考えられる。

特許を持っていても、臨床研究に「G47Δ」を使うときは MGH の許可をもらうことが必要になる。

日本に研究資料を持ち帰るとき MTA(Material Transfer Agent)を MGH と結んでいて、その中に「人に対して使わない」ということが書かれていたため、人に対して使うことを前提とした契約を改めて MGH と締結しなければならなかった。

簡単にまとめると、こんな感じですが、実際の手続きは大変だったようです。

さらに、帰国してからの厚生労働省とのやり取りも、理不尽と言うか、「前例がない」と言うことで時間ばかりかかって先に進まないことの連続だったようですが、それについては本を読んでください(日本の文書管理は飛鳥時代から前例主義という事なかれ主義が徹底しているのが官僚の世界の中核的思想となっている)。

ようは厳密な知財管理ができる背景には徹底した「文書主義」があるからで、日本のような前例主義属人管理では、これからの時代には即応できないことは自明です。

ひたすら「DX」を金科玉条のごとくに唱えたところで、紙文書のPDF化だけでは本来の「文書主義」を目指しているわけでもなく、集合知として「スタック&シェア」に供することも道のりは遠そうです。

文書を「集合知」として活用するためには、文書単位よりは文書を構造的に作成し、パラグラフ単位で見つけ出し、使用できるようにするという考え方が不可欠になります。

かつて「SGML」と言われ、いまでは「XML」となりましたが、「SGML」が目指していたのは徹底した文書の構造化だったと思います。

日本での文書は、構造的に作成することよりも「印刷は文化だ」とかをお題目にして、禁則処理とか組版ルールが内容よりも優先してきたこともあって、そこに書かれている情報価値をいかにして活かすかは二の次になっています。

余談ですが、ワードクラフトの「ナビドク」はMarkdown記法を前提に原初のHTMLに戻ることで文書の情報価値を高めようと呻吟しています。

結局、「DX」は単なるデジタル化でしかないのが現状のような気がしています。

雇用に関しても平から係長、係長から課長、課長から部長、そして役員になって運が良ければ経営幹部や社長なるなどと言う、ステップアップ式の人材管理が、大企業においても当たり前になっている企業社会で「ジョブ型雇用」という言葉が出てくることには奇異感を拭えませんが、そのことについては別のところで。