光林寺の桜

2021.3.28、日曜日。

天気は芳しくありませんでした。夕方からは風雨になるという予報でした。広尾の1番出口に10時集合でしたが、1時間間違えて9時についてしまいましたので有栖川宮公園のベンチに座って本を読んでいました。

読んでいる本は、島崎藤村の「夜明け前」です。この本はすごいですね。まえから読もう、読もうと思っていましたが、なかなか心の準備ができなくて、いままで読んでいませんでしたが、やっと「夜明け前」の世界に没頭することができるようになりました。

ということで、フランス大使館の前を通って光林寺に着きました。

いつ見ても、すごい桜です。桜のすごさは木の太さで決まると思っています。光林寺の桜の木の太さは、尋常なものではありません。

延宝6年10月(1678年)盤珪永琢によって麻布市兵衛町に創建、元禄7年(1694年)5月に現在地に移る

wiki

とありますから、もしかすると300年くらいの樹齢なのかもしれません。

光林寺の桜は見事なだけでなく、見に来ている人が少ないのが最大のポイントです。目黒川とか上野の桜だと、コロナがどうこうではなく、人の頭を見に行くような感じで風情を味わうことができません。人が多いところでは桜を鑑賞できません。

光林寺の桜は、いつまでも人知れずにいて欲しいと思います。

wikiを見ると「ヒュースケン」と「樹木希林」の2件が出来事として掲載されています。お墓は上部のほうに大名とかお坊さんのお墓がありますが、内田さんのお墓も大名の位置くらいの上部にあります。

古川財閥の古川市兵衛と複数の奥方(鶴子、為子、清子)のお墓もあります。古川市兵衛という人も、ただならぬ魅力のある人だったように思います。政府とのやり取りから陸奥宗光と昵懇になるし、渋沢栄一の信頼を得ることができたりしていますが、足尾銅山の鉱毒事件がたたったのか有名人としては今一つ人気がないようですが、歴史的に卓越した人材だったでしょう。

臨済宗のお寺なのにヒュースケンのお墓は十字が刻まれているのも、数奇な出来事であることを今の世に伝えてくれています。この事件の前後でペリーが黒船で来航してきたり、皇女和宮が降家したりすることで、世の中が尊王攘夷で吹き荒れていた時期に重なってしまったのが、ヒュースケンにとっての不運でした。

「夜明け前」にヒュースケンのことが書かれていたかは覚えていませんが、薩摩の殿様の前を異国の人が横切ったことで殺傷事件になり、賠償金をとられています。薩摩が払ったか幕府が払ったかは忘れました。

光林寺のほぼ真ん前の停留所から都バス・新橋方面行に乗って麻布十番の「永坂」でお蕎麦です。同行者が「麻布十番というくらいだから九番もあるんだろうか」などと言っていたので「11番はわからないけれど9番はあるでしょう」などといい加減な答えをしておきましたが、調べた限りでは九番はありません。

麻布十番」の説明として「馬場」があったという説明だけが散見されました。

采女が原馬場、馬喰町馬場、高田馬場以外には、
・牛込馬場(牛込築地)
・大溜馬場(赤坂溜池端)
・愛宕下馬場(愛宕下大名小路)
・小石川馬場(小石川築地)
・小日向馬場(小日向築地)
・桜馬場(湯島昌平坂)
・十番馬場(麻布十番馬場町)

上から数えると、ちょうど10番目なので、そんなあたりから「十番」とされたのかなとは思うものの根拠はありません。

お蕎麦の「永坂」には「麻布永坂 更科本店」「永坂更科 布屋太兵衛 麻布総本店」「総本家 更科堀井」の3店舗がありますが、どうも、あまり仲がよろしくないようですが、それは、お互いに争ってもらえればいいので、食べる側からすれば、お蕎麦がおいしければそれで結構なことです。

自分的には駅からの立地的にも、お店の雰囲気的にも「布屋太兵衛」がいいように思います。御汁が甘いのと辛いのがあるのも、蕎麦湯が白濁しているのもうれしいです。

昨日は十割蕎麦にしたのですが、やはり小麦が入っているほうがいいように思います。生きていれば来年の桜も光林寺にして「永坂更科 布屋太兵衛 麻布総本店」で「御前そば」にしようと思います。