光林寺の桜 2022

ことしも光林寺観桜

今年も行ってきました、光林寺。花は散りかけていましたが、とりあえず人影もほとんどなく大きな木の桜を眺めてきました。

今回は時間節約のため麻布十番から渋谷行のバスで「光林寺前」で降りて、ざっと光林寺境内を一回りしてきました。

ジンバルでもあれば、手振れもなくスムーズな動画になりそうですが、めったに使わないのに道具に投資するわけにも懐事情が許しません。

去年は、永坂更科布谷太兵衛で10割蕎麦を注文して失敗したので、今年は二八蕎麦にしました。ツユは「あま汁」と「から汁」が出てきますが、蕎麦湯で割って飲み比べしましたが自分的には「あま汁」だけでいいように思います。

GoogleMapで安政4年(1858)の地図を見てみると、麻布十番のあたりは「坂下町」とか「宮下町」と呼ばれたあたりに該当します。地下鉄の出口あたりには「小役人」の住まいがあったようです。

明治25年

明治25年(1895)になると、「長坂町」は「麻布永坂町」となっており「宮下町」も「麻布宮下町」になっています。

少しややこしいことなのですが「永坂更科」には、現在、3つの店があります。

詳しい話はよく分かりませんが、wikiによると、そもそもは堀井清助こと布屋太兵衛が保科家に晒布を収めるために出入りしていた。

堀井清右衛門のとき、領主から蕎麦打ちがうまいので布屋より蕎麦屋をやるように勧められ麻布永坂町「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」の看板を掲げた。それが寛政年間(1789~1801)のことだそうです。

文政7年(1824)には御前(将軍家の御前蕎麦)蕎麦処18軒に入っていることで名が広まった。

更科といえば、人みな麻布永坂の蕎麦店たるを知る。実に東京に於ける一名物というべし。本店は永坂町13番地に在り、当主を堀井松之助という。 其の製法他店と全く異にして、色白くして細く、一見愛すべし。

wikipedia

麻布永坂の、寂しい大通り、振客の利かぬ、辺僻な場所の、更科本店は、三棟七室の客座敷に、何時も、遠来の客で賑って居る。

「振客の利かぬ」とは、予約なしや通りすがりの客はダメということで、常に予約客で座敷がいっぱいだったようです。場所は、現在の麻布十番ではなく、少し北の永坂町にあったとのこと。

昭和5年には店舗が8軒になっていたところ昭和恐慌で痛手を受け、昭和16年に本店が廃業に追い込まれる。昭和17年、空襲で永坂の店が消失し坂下に移転したとあるものの、廃業したのに坂下に移転してどうなったのかは不明。

昭和23年、戦後の混乱の中で料理屋馬場繁太郎が「永坂更科本店」を開店する。

昭和30年代には、これもよく分からないことですが、合資会社「麻布永坂更科 小林勇」設立、七代目堀井松之助、妻きんも出資したとあり、これが現在の「永坂更科布屋太兵衛」のようです。

「永坂更科布屋太兵衛」が「永坂更科本店」を類似照合使用禁止を求めて告訴するものの「永坂更科本店」は商号の使用許可を得ているとのことで敗訴。

堀井良造が「信州更科 布屋総本家」を開店させるものの「布屋」使用について、使用権を巡って裁判となり「更科堀井」として改称した。

血筋から言うと「更科堀井」になりそうですが、いったん途絶えていることと、素晴らしかったのは寛政時代の堀井清助さんであって、どんなもんだかは分かりませんが、来年、光林寺の桜見物に出かけるときは「更科堀井」で更科そばを賞味してみようと思います。