黒人がテーマになった映画

ハリエット

アマゾンのプライムで、ただで見られる映画があることを知って、いくつかを見ました。「見た」というのは正確ではなく「見た」ものもあれば「見かけている」ものもあります。

最初に手を付けたのが「ハリエット」でした。

ハリエットは実在の女性で1820年か21年(文化文政のころ)に生まれて1913年に亡くなっています。南部から脱出する奴隷たちを助けたり北軍に入って南軍と戦ったり、お札(さつ)になるくらいの女性だったということ。

2016年に新20ドル札の調査で堂々の1位を獲得してジャクソンを裏にしてハリエット・タブマンが表(おもて)になることとなりました。オバマ時代のことです。新20ドルは2030年に発行される予定でしたが、女性参政権100年目の節目にということで2020年に繰り上がったのですがトランプが横槍を入れて凍結になってしまいました。

バイデンが登場することで復活しそうになっています。

映画は奴隷から逃げるのに成功するところで中断しています。中断には理由はありません。いずれ再開する予定です。

私はあなたのニグロではない

ジェームズ・ボールドウィンという人が中心で話が展開していきます。ドキュメンタリーで、マルコムXやキング牧師の暗殺が扱われたりもします。

ボールドウィンの舌鋒は鋭く、黒人に対するアメリカ社会の病巣を鋭く指摘しています。ちょっと、過剰に批判的な気もしますが、「過剰」にならざるを得ないところもうなづけなくはありません。

アメリカで黒人を差別するのは「肌の色が黒いから」なのか、かつては「奴隷」としてアメリカにつれてこられたことに対して「分際」をわきまえろということなのか、この執拗な差別の底流にあるものがわかりません。

私はあなたのニグロではない」という意味は、所有物としての奴隷ではないということなのでしょうし、「あなたの」には、かつての奴隷の所有者のみならず、アメリカに住む大方の「白人」を指しているのでしょう。

ドキュメンタリーなので、起承転結があるわけではありません。1回見ただけでは、理解が伴っていないため強烈な印象を得てはいませんので、いずれゆっくり見直さなければと思っています。

マンデラの名もなき看守

これも途中で中断しています。看守はグレゴリーと言って、子供の頃、現地の子供と友達だったおかげで現地語を使えたのでマンデラの担当の看守となります。

アパルトヘイトの白人による理由のない黒人差別に疑問をいだきながらマンデラとの接触からグレゴリーは、おそらくいわれのない差別に煩悶するのだろうと思うのですが、中座しています。

これも、いずれ最後まで見なければと思っています。

1400年代の大航海時代が始まるとポルトガルが喜望峰を回ってインド洋に出るようになります。ついで1600年代にはオランダが、中継基地とします。18世紀末になるとイギリス人が到来し、ケープタウンを占領します。

その後、イギリスがやりたい放題の限りを尽くして黒人を奴隷にし、土地を専有し、資源も独占してアパルトヘイトを推進していきますが、時代の趨勢には勝てず1994年にアフリカ民族会議が勝利しマンデラが大統領になります。

遠い夜明け

スティーヴ・ビコというアパルトヘイト抵抗運動の活動家をデンゼル・ワシントンが演じています。

ビコは警察に逮捕され、過酷な拷問を受け脳出血により1977年に死亡していますが、診断した医師は「そんな痕跡はない」とし1963年に裁判なしで投獄することを許可する法律を導入して以来、尋問中に死亡した46番目の政治的理由による拘禁者となった。

取り調べ中に「病死」した小林多喜二にも共通しますが、こちらは特高警察による共産主義者に対する弾圧でしたが、弾圧する側の暴力と、暴力を行使する精神は共通のものと思います。

原題「CRY FREEDOM」。ビコの死のニュースは瞬く間に全世界に広まり、アパルトヘイト制度の不正の象徴となったとのことでしたが、全く知りませんでした。

当初、警察署長はハンガーストライキで自殺したとかいい加減なことを供述していたものの、適正な検死の結果として、8年後、医師のうち2名が不適切な行為によって有罪と認定されたのだそうですが、暴行を加え殺害した警察官は起訴されませんでした。

最近の日本でも拷問や暴力こそはなかったものの、スリランカの女性が名古屋の入管で死んでいます。こういう「」は、徹底的に明るみに出さなければ民主主義は退廃していきます。逆を言えば森友や加計、桜を見る会などと「」を徹底的に隠ぺいする現内閣は、民主主義の側はかぶっていますが、今の権力の本質は民主主義とは程遠いところにあるように思います。

アメリカにしろ、南アフリカにしろ、不条理を不条理として抗うことなく受け入れる今の日本のありかたは、社会の健全性を失いつつあるのか、あるいは健全性を失っているから統治機構がやりたい放題ができるのかはわかりませんが、もっと「正義」を求める民族にならなければ次世代はもっと腐っていくような気がします。

クラウン・ハイツ/無実の投獄

1980年、ブルックリンのクラウン・ハイツで起きた殺人事件で、冤罪で投獄され21年もの月日を刑務所で過ごしたコリン・ワーナーの伝記映画だそうです。

普通の悪さはするけれど、いきなり警察が来て殺人罪で逮捕され、なにをどのようにあがいても証拠もなく、黒人であるというだけで有罪にされてしまうというアメリカの現実が描かれている。

この映画も最後まで見ていないので、いずれは見たいと思っています。

18歳から21年間、無実の罪で服役しなければならなかった唯一の理由は、彼が黒人だったと言うだけです。これが、アメリカの現実であり、おそらく行動には出ないものの大方の白人の心の底に埋め込まれている基本的な反応なのではないでしょうか。

最後まで見ていないので、偉そうなことは言えませんが、友人が奔走して可能な限り尽力して彼を救ってくれます。その友人は、コリンが無実の罪で服役したことで彼を救おうとしたことを通して「自分がより良い人間になれた」といっています。

こういう考え(価値観)を一般の国民が共通にするような社会にしない限り、政治を含めて良くはなっていかない気がします。

民主主義つは結局は「選挙」という票取りゲームでしかありませんが、投票権を持つ(参政権)ということはなんなのかを、いい加減にしてはいけないとのだと思います。そうすると政党とか宗教とか、あるいは教育とか道徳のようなものまで登場してしまうことになり結局は遠大な終わりのない話になってしまいます。

氏か育ちか」という結論のない話がありますが、圧倒的に「育ち」が人の現実的価値を規定していると思います。

地下鉄道 ~自由への旅路~

黒人をテーマにした無料映画をチェックしているせいなのか、黒人が主人公の映画の案内が多く表示されます。AIが活躍しているのでしょう。

この映画のテーマである「地下鉄道」とは、冒頭のハリエットが、北部へ逃げて、更には「地下鉄道」の「車掌」として多くの南部の黒人奴隷の逃亡を助けています。

この映画も、その「地下鉄道」を扱っているのだと思いますが、実は最後まで見ていません。

なぜ、最後まで見ていない映画が多いかと言うと、最後まで見れば救いがあるのかもしれないのですが、冒頭には救いがないことも影響しています。

白人が黒人奴隷を殴ったり鞭で打ったり最低最悪の生活をさせ、彼らの農場の労働力としてしか扱っていない。そのことに人間性の喪失を感じていない白人とは、いったいどこからそのような考え方を身につけるのかが不思議です。

それだけ、人間にとって容姿が「優越」あるいは「劣等」の重要なファクターだということなのでしょう。そこには能力も努力も全く関与する余地がありません。

こうした感覚(感情または価値観)は、生得的なものなのでしょうか、はたまた、学習によって習得したものなのでしょうか。習得したものなら是正の可能性はありますが、「優越感」「劣等感」のような感情に根ざしている価値観は、どうも生得的であるような気もします。

グリーンブック

映画の第である「グリーンブック」とは、

アメリカ合衆国が人種隔離政策時代の1930年代から1960年代に、自動車で旅行するアフリカ系アメリカ人を対象として発行されていた旅行ガイドブックである。書名は創刊者であるヴィクター・H・グリーンに由来し、「グリーンによる黒人ドライバーのためのガイドブック」というほどの意味になる。通常は単に Green Book と呼ばれた (以下本項では便宜的に『グリーン・ブック』とする)。

wiki

この映画は端的に言って「好き」でした。見てよかったと思う、いい映画でしたが、背景にあるのは、やはりアメリカの黒人差別がメインテーマになっています。

主人公は、手前のイタリア人で、用心棒兼運転手として雇われたバレロンガが、後ろに座っているピアニストのドン・シャーリーと1962年にアメリカ最南部をコンサートで回ったときに妻に送った手紙をもとにバレロンガの息子によって作られたと書かれています。

イタリア人のバレロンガと黒人のシャーリーのものの考え方の違いを超えて、わかり合うようになっていくところが、なんとも素敵でした。映画がどこまで本当のことを伝えているのかは不明ですが、二人の出会いが二人にとってどれだけ有益なことであったのかと思うと、人種を超える理解は、「出会う」こと以外にないのかなと思います。

お互いが理解の上で考え方をすり合わせていく感じが、とてもよかった。

昭和37年といえば、マリリン・モンローが死んだり北島三郎がデビューしたりしています。アメリカではキューバ危機がありましたが、ソ連がミサイルを撤去しています。いまの中国の知性では、こうした歩み寄りはきっとできないでしょう。そして、グローバリズムを標榜する金の信者(別名資本家)たちは、中国抜きで自分の財布を満たすこともできないでしょう。

まとめ

差別」とか「いじめ」をなくすことが難しいのは、人間が進化の過程で、進化にとって必要とされた感情に根ざしているからなのだと思います。仮に「生得」的であったとしても、「体得」することで克服することはかなり可能なことだと思いますが、何も人種だけのことではなく、賢愚、美醜、貧富など、さまざまな軸で、人々は優越を争っているし、これがなければ競争は成り立ちません。

動物の「生得」には億年の歳月を要していますが、「体得」はたかだか数万年でしかありません。

生まれた瞬間に差がついていることを、そのようにしても埋めることなどできるはずはありませんが、出会いがありさえすれば理解を深めることはできるのでしょう。

バレロンガが家に帰って親類たちと会食しているときに、一人が「ニガー」といったときにバレロンガが「その言い方はやめろ」といいます。

特に権力を持つ人間たちの意向に自分の考えが、考えもなく左右されることを忌避することは咲いて現必要なことと思います。