メタバースと言う仮想世界の王に贈る言葉

荘周夢で蝶になる」とは「胡蝶の夢」として広く知られています。

「夢で蝶になる」という話が、「胡蝶が夢を見た」というようになるのかは不思議な飛躍です。とはいえ、これを始めて読んだとき、なぜだか分からないのですが、そこはかとない感動がありました。

実態のある自分と、夢の中の蝶が見る自分との本質的な違いは何か? という問いかけだと感じました。実態のある自分を、とりあえず「摂理の系」として捉えると、夢で見る自分は「観念の系」と言えると思います。

では、小学生のころを考えてみると、全ては記憶の中のこととなります。その記憶は「摂理の系」として断言できるのかと言うと、甚だ、「観念の系」として捉えるべきこととなっているように思います。

結局、「現実」とは、ほとんどは「現在」としてたどれる範囲のことだけでしかないのではないでしょうか。となれば過去の出来事は、どんどん「観念の系」に取り込まれていくわけです。

さて、「摂理」と「観念」の話をしたのは「メタバース」という「仮想空間」が話題になっています。その昔のことになりますが「セカンドライフ」という仮想空間がありました。その後も続いているようですが、私が考える「メタバース」とは方向が異なっているような気がします。

ネットの記事では「エンタメ」「ビジネス」「デザイン」「インダストリー」の4方向への展開が考えられるのだそうですが、これとて、私が考える「メタバース」とは方向が違う気がしています。

3Dである必要もあまり感じてはいません。

邪推でしかありませんが、ザッカーバーグが考えているメタバースは、おそらくですが、もう一つの「世界」をメタバースとして構築しようとしているのではないかと思っています。

3D眼鏡をかけてエンタメや会議をして、寺銭を稼ごうなんて、1兆円もかけて真剣に考えるほどの価値があることのようには思えません。

考えはもっと壮大で、新しい世界を「メタバース」に作ろうとしているような気がしています。ポイントは「メタバース」の中でリアルマネーに換金できる稼ぎ、報酬、職業を作れるかによると思います。

セカンドライフ」では当初、仮想空間の中で土地を買わせて値を吊り上げるような荒唐無稽な話がまことしやかに語られていましたが、そういう次元の仮想・山林商法のような発想では、あまりにつまらないでしょう。

イギリスのポップス歌手は「国境はないと想像しよう」と歌いました。荘子は「世界の紛争は親指で解決できる」と言いました。しかし、「メタバース」には国境もないし人種もないから差別も紛争もない(はず)。

有償でコンサートも開けるし電子書籍も販売できる。リアルマネーを「メタマネー」に換金すればリアルなものの販売だってできるわけです。そうなれば「メタバース」社会の中で起業もできるし、株式だって発行できるから投資もできるわけです。

そこで使える「メタマネー」は、かつては「リブラ」といった、今の名前が「ディエム」が仮想・法定通貨になればいいだけのことじゃないでしょうか。

メタバース」完結で報酬が得られる仕組みが構築できれば、ゲーム何分やったらいくらとか、会議室何分使ったらいくらのような、先の見える閉塞した面白くもない稼ぎではなく、換金手数料とかICOの手数料とか、双方にメリットのある課金の仕方が考えられそうです。

教育も文部省推奨の面白くもない教育ではなく「メタバースワイド」な教育が受けられるでしょう。当然、言語はAIで変換するとしても微細なニュアンスを伝えるためには「メタランゲージ」を開発して「メタランゲージネイティブ」になれば、言葉に拘束されることもなくなっていく。

社会を進歩させるためには「理学」「工学」が必要になりますが、人間にとって有用な楽しみ(芸術ともいう)とは「音楽」「文学」「美術」と決まっているわけです。

文部省推薦の教育では 「音楽」「文学」「美術」 の楽しみを画期的に伸ばしていくことは難しく、生まれつきの才能ある人だけが、その楽しみを提供する側に立てるようですが、「メタエデュケーション」では思う存分に興味を伸ばしていくことを可能にすることができるでしょう。

メタバース」には治安部隊(誹謗中傷の排除のため)は必要と思いますが、国境がないから国防にかける費用は割愛できます。

わたしはザッカーバーグではないので、何とも言えませんが、「メタバース」が「仮想空間」などではなく「観念による社会」になっていけば面白いことになると思いました。

いままで国王とか独裁者はたくさんいましたが、「世界王」はザッカーバーグが初めてのことでしょう。贈る言葉は「やったね!」です。