リモートワークと出勤について考えてみた

Newsweek 2021.6.29号に「コロナ収束で始まる『リモートvs出社』バトル」という記事がありました。

アメリカではワクチン接種が進むに連れてマスクルールが緩和されるなか、企業はリモートから出社に戻そうとしだしているようです。
従業員にとっては、感染の危険はあるし、子供のオンライン学校が続いているし、9時5時の通勤&勤務が面倒になっている人も少なくないでしょう。

従業員の66%は感染のリスクを心配している。リスクを感じていないのは13%に過ぎない。

しかし、9月までに62%の従業員はオフィスに戻ると企業側は見込んでいる。アマゾンは秋までにリモートワークは終わらせオフィス中心のカルチャーに戻るとしている。

ゴールドマン・サックスも同様で「新しい日常(ニューノーマル)にはならない」としている。いまが例外的状況であるという認識。
リモートワークを認める用意がある企業経営者は4人に1人にすぎないようです。

カーネギー・メロン大学経営大学院の教授は、同じオフィスにいることで「共同作業がしやすい」「技術革新が起きやすい」ことを指摘しています。

バンク・オブ・アメリカではリモートワークの従業員の生産性は低く、ミスも多いということがデータから明らかであるとしているようです。どういうデータかは不明ですが。

要するにポイントはいくつかあって、

1.テレワークで生産性が上がる業務は、いずれ外注に切り出せばいい
2.テレワークと出社勤務をハイブリッドにするのがちょうどいいバランス
3.多様な意見を尊重し対応していける企業が勝つ

というあたりかもしれませんがフォーチューン誌による世界規模の調査結果からは職場が好きな社員は、そうでない社員に比べて業績を上げる可能性が4倍高いというレポートもあるようです。

翻って日本では「あしたのチーム」というサイトで「コロナ禍のテレワークと人事の課題を調査」という記事を掲載しています。
https://www.ashita-team.com/

「自社の人事評価制度をテレワークの実態に合わせて見直し・改訂すべき」と考える方が8割以上であったのに対して、改訂が行われた企業は14.4%にとどまっているのだそうです。

■テレワーク時の人事評価が「オフィス出社時と比べて難しい」61.1%
勤務態度が見えないー

ー「チームミーティング(オンライン含む)の回数を増やす」
ー「毎日スケジュールやタスク共有」
ー「細かく業務報告」


などの施策により、8割が「改善された」とか...。ちょっと愚かしい気がしますけど。

この調査は「人事評価」にウェートがかかっていて企業としての本質、つまり生産性や競争力という観点からの分析ではなく、また、従業員と経営陣との考え方の違いに対する踏み込みもありませんので、アメリカの調査とは視点が違います。

■テレワークをやめたいと思った理由

-業務上の不便が多い
-気軽に相談ができない
-孤独

という調査結果もあるようですが、これもなんだか的が外れている気がします。どっちが自分の戦闘力を発揮できるか、あるいは企業人として成長することができるかという観点がかけている気がします。

そもそもは「組織論」に尽きると思います。

組織と従業員という立場で考えると、かつては「コーポレート・アイデンティティ」などと言ってたように「帰属意識」「一体感」「忠誠心」のようなマインドが日本企業を支えていたと思います。

ちょっと情景は違いますが、同じ教材(コンピュータで学ぶような)でも、一人で学ぶのと集合で学ぶのとでは学習の効果が違うそうです。

企業も同様であって、組織力があればこそ、従業員の力も向上すると思うのです。テレワークで済む業務は、アウトソーシングに切り替えたほうがコスト効果が高ければ切り出されていくでしょう。

ワードクラフトが取り組んでいる「文書管理」でも気がつくことに通じますが、単純に文書管理と言っても文書には種類と性質があって、共通しているのは「組織文書」であるということです。

組織は、「成員の地位と役割とそれに応じた責任が決められているような人々の集合体」であって、役割に応じた「分掌」が決められているはずのものです。つまり、組織文書は必ず、いずれかの分掌を円滑に役割を果たすために作成され共有されるべきものです。

これがきちんときまっていれば人事評価は、その基準から考えれば達成の度合いが測れると思います。

恒久的なリモートでの労働になるのであれば、「分掌」にも影響はあるはずであり、それなくして人事評価が云々されるというのも、なんだか日本の組織ならではのような気がします。

企業や行政における文書は、全てが「組織文書」であり、必ずいずれかの分掌に属することが明白でなければ組織の構成に問題があると言えます。

紙の文書をデジタル化することが「DX」であるわけではなく、「DX」にする以前の問題として杜撰な組織管理がまかり通っている限り、「DX」化するとしても間違った方向に多大なコストをかけてしまうような気がします。