30年後の同窓会

原題は「Last Flag Flying」。直訳すると「最後の軍旗掲揚」というらしい。

あらすじ

2003年12月、ラリーは旧知のサルが経営するバーを訪れる。ラリーとサルはベトナム戦争で同じ釜の飯を食った仲。2人はもう一人の旧友、今は牧師として暮らすミューラーの家を訪ねる。ラリーは一人息子をイラクで亡くしたことを明かす。ラリーの息子の遺体を引き取りに行くのに同行して欲しいといい旅に同行することになった。

海兵隊員だった頃、サルとミューラーは酒・女・ドラッグに溺れる日々を送っていた。2人はラリーが管理していた痛み止めのモルヒネを乱用して、その結果、痛み止めがなく苦しみながら仲間の一人が命を落とし、ラリーは三年の刑と懲戒除隊処分となっていた。ラリーは息子の遺体を引き取りポーツマスに帰り、息子を軍服で埋葬する。サルとミューラーが海兵隊の葬儀の正式なやり方で国旗をたたみラリーに渡す。

感想

なんてことのない話である。ベトナム戦争といえば1965年から10年間アメリカ軍がベトナムで戦争をして敗退した戦争である。

主人公はラリー(ドク)となっているが3人が主人公のようである。帰還してから30年という設定であるから2005年ころの話ということになる。彼らが生きていれば、2021年には75歳の前後くらいになっているくらいの年齢が前提。

第一次世界大戦に従軍した人の述懐で「柔らかいものを踏むと、それは死体か内蔵だった」というような文を読んだことがある。

どこの戦争だって同じようなもの。ベトナムの夏の最高気温は40度くらいだとか。こんな暑いところで死ねばすぐに腐敗するし怪我をすれば感染症にかかる。

マラリアにも掛かりそうだし、生水を飲めばコレラなど熱帯性の伝染病にかかる。

そのような戦場で死地をくぐり抜けてきたという絆(戦友)が、どのようなものかはわからない。邦題が「30年後の同窓会」としている意味は不明。戦争体験のない映画配給社の社員が思いつきそうな軽薄なタイトル。

FLYING」は「掲揚」かもしれないけれど、戦死者への掲揚は映画のように三角にたたむのが正式なのかも。

ラリーの息子は自分が死んだら渡してほしいとして書いた手紙を友人に託し、それをラリーが受け取る。

「この手紙を読んでいるということは僕が死んだんだ」とラリーに語りかけ、「軍服で埋葬してほしい」「母の隣に埋葬してほしい」と手紙に書いてあった。

ラリーは息子をアーリントン墓地に埋葬することを拒否して亡き妻の眠る墓地に埋葬することを選んだ。私服で埋葬するつもりだったがサイズが合わないだろうということで軍服にした。

サルとミューラーも軍服を着て葬儀に参列しアメリカ国旗を正式に三角にたたんでラリーに渡す。

なにが言いたい映画だったのか?

30年間、音信不通だったのだから友情をことさら語ろうというわけではない。ラリーがなぜ、息子の遺体を引き取るにあたって30年前の戦友を訪ねて同行を求めたのかの説明もない。

しかし、人間の「思い」なんて、言葉や文字にならないことのほうが多い。サルはラリーに「一緒にバーをやろう」と申し出る。ラリーがそれを受けるのかは不明だけれど、戦場という異様な場所で共有する体験から生まれる「」は、戦場という体験のない人間にはわからない繋がりができている。

つまらないテレビや映画に比べるとよっどマシな内容だけれど、どうしても見なければならないような感動は、今のところ沸き起こっているわけでもない。そんなところが、かえっていいのかもしれない。

夏目漱石に言わせれば、すべては「道草」のようなものだし。

最後に

自分なら30年後の同窓会には、きっと行かない。それが仮に戦友であったとしても。